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 皆様ご機嫌麗しゅうセバスチャンでございます。本日は豆知識ではありませんが、公図についてお話ししたいと思います。 

この公図というものが法務局に保管されています。ご存知の方も多いかと思いますが、土地や建物の売買の経験が無いと知らないかなと思います。わたくしもこの業界に携わるまでは知りませんでした。 

歴史的にはみなさん勉強されたと思います。かつて土地の大部分は農地で、領主は年貢を徴収していました。その為に土地の大きさを測ったりしたわけですが、有名なところでは豊臣秀吉が行った太閤検地でしょうか。江戸時代には暴れん坊将軍で知られた徳川吉宗が大規模に行った享保検地などがあります。いずれも年貢徴収のためでした。 

よく、土地の一区画を一筆(ひとふで)と呼びますが、この呼び方は暴れん坊将軍が行った享保検地の際に「検地帳」というものが作られて、それには、土地の所在(字名、地番)、土地の等級(上、中、下)、面積、所持者が一筆(一行)で記載されていたので、その後、その一区画の土地を「一筆」と呼ぶようになったそうです。 

この公図とは直接関係ないのですが、歴史的にははるか昔から、地図を作製した経緯があるんですね。ただ、当時は精密な測量機器もないわけですから、平地はまだしも高低差があると、おおざっぱな歩測とか目測で作られていたようです。 

現在の所有権制度が確立したのは、明治維新後だそうです。明治4年、廃藩置県が行われ、翌年の5年に土地売買の自由が認められたそうです。それまでは現在のように勝手に売買できなかったのですね。そして官有地、私有地などに地券という現代の権利書的なものが発行されたそうです。、この地券は一区画、すなわち一筆の土地ごとに発行されたそうです。明治6年、地租改正の太政官布告とういものがされ、全国的に土地調査と地価の確定が行われました。当時、私有地の8割は農地で、一筆ごとの測量が行われ、市街地の宅地についても地券が発行され、この事業は8年後の明治14年までかかったそうです。。 

 当時この測量には農民が抵抗して、現実に騒ぎが起こったそうです。この時の測量で一筆の土地の位置や形状、地番、面積を記載した「野取図」または「一筆限図」というものが作成され、これを字(あざ)単位にまとめた「字限図」、村単位にまとめた「村限図」というものを作成して政府に納めたそうです。 これら三種類の図面を「野取絵図」とか「字図」と呼ばれ、現代の土地台帳制度における地図である「公図」の原型となったんですね。 

今回アップした公図を見ると、大雑把で決して当時は決して積極的でなかったのだなーと伺えますね。 
今日はこの辺で、長くなってすいませんでした。最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。 

では、aloha~